「皆口優子です。」
人を探すために一日中歩き回っていて、何も食べていなかったという彼女は、レトルトのカレーライスを平らげた後でようやく言葉を口にした。
「はぁ、ほんとにもう、誰もいなくなったかと思っていたわ。」
「俺もそう思っていたよ。初めに見たときには、『ああ、とうとう幻覚まで見えてきた、俺ももうおしまいか』なんて考えたよ。」
「それ傑作だわ。」
口元を押さえて小さく笑う彼女がとても可愛かった。
高校三年生の彼女は本当によくしゃべる娘で、とても歳上には見えなかった。身振り手振りを加えて話す様子を見ながら、声を黙って聞いていた。
彼女の声はとても心地よかった。
「ねえ、ちょっと、聞いているの?」
「え、あ、ああ。」
「あたしだって誰かの声を聞きたくてここに来たんだから、あんたも何かしゃべりなさいよ。」
久しぶりに心の底から笑うことのできた夜だった。いつまでも話をしていたかった。
「もうかなり遅くなっちゃったね、送ろうか?」
「どこに?」
「どこにって、家に決まっているじゃないか。」
「誰もいない家にわざわざ? 泊めてよ。」
えっ?
「もうかなり足も痛いし、ここから帰るとしたら歩いて一時間はかかるわ。そんなことをする気力はないわよ。」
体中の血液が顔に集結していく。
「お、俺だって一応男なんだし、その、どうなるか分からないから、やっぱり……」
「顔を真っ赤にしてそういうことを言う人にそんな度胸はないわよ。」
「え? いまなんて言ったの?」
「なんでもない。でもあたし柔道黒帯だから、変な気を起こしたら痛い目をみるよ。」
今日は久しぶりに日記に書くことがいっぱいあった。
新しいぺージにペンを踊らせる。次々と言葉がつむぎ出され、まるで自分以外の誰かが動かしているのではないかと思えるほどなめらかにペンが動いていく。そうして2ページくらい皆口さんのことを書き連ねてから、これでは日記にならないではないかと思い直し、書き直そうとする。
コン、コン。
どきり。
「ごめんなさい、まだ起きてる?」
慌てて日記をしまう。
「う、うん。」
ドアの向こうの彼女に聞こえるかと思えるほど強く、心臓が高鳴る。返事の声がうわずっていたことにも気付かない。
「開けてもいい?」
「いいけど、どうしたの?」
かちゃり。
「眠れなくて……」
彼女は、俺がまだ着ていなかったフリーサイズのパジャマを着ていた。泣きだしそうな顔をして、枕を抱きしめている。
「笑わないで聞いてよ。朝まで……」
この息苦しくなるほどに早く、強いドキドキは彼女に聞こえてしまうだろうか。聞こえていたらどう思うだろう。
「手を握っていて欲しいの。」
返事をすることができなかった。目を大きく見開き、彼女を見つめていた。顔が朱に染まっていく。
「変な娘だって思ったでしょう? でも、離れてしまったらまた独りになってしまいそうで怖いの。触れていればそこにいるってわかるでしょう。」
客間に行き、彼女は再び布団にはいる。俺はその横に座り、右手を両手で握りしめる。
「それじゃ眠れないでしょ?」
「いいんだ、あまり眠くないから。」
「ごめんね、変なこと頼んじゃって。」
「構わないよ。」
「やっぱり、『誰か』がいるっていいね。1人でいたときは、次の日にまた自分しかいないっていうことが怖くて、早くいなくなってしまえばいいって思っていたもの。でも今日は、明日が楽しみになるわ。」
「うん、俺もそう思うよ。」
「お休みなさい。明日また、会えるといいね。」
「そうだね、お休み。」
やがて彼女は寝息を立て始める。
明日が楽しみになる、か。このままこうしていられるのなら、確かに楽しいことだろう。俺も、彼女を1人、残したくはない。独りきりにはもう二度となりたくはない。
彼女はどうも、そのうち元通りの社会に戻ると信じている節があったが、俺はどうしてもそうは思えなかった。2人一緒に消えてしまうのが、一番幸せなように思えた。
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